岩井圭也作品を語る上で「才能」というテーマは欠かせない。
そもそも岩井圭也さんのデビュー作である『永遠についての証明』が、才能に翻弄される人々の物語だった。
才能がありすぎるが故に周囲と話が合わずに苦悩し、うまく生きられなかった主人公。そして、周囲もまた彼の才能に複雑な思いを抱き、彼を遠ざけた。
そして才能といえばもうひとつ思い浮かぶのが、直木賞候補にもなった『われは熊楠』だ。
「知の巨人」と言われた南方熊楠も、天才のひとり。
この物語を読むと、熊楠の頭脳もさることながら、彼の本当の才能は「好奇心」にあったのではないかと感じる。研究が陽の目を見なくとも、その飽くなき好奇心が彼を知の巨人へと押し上げたのだろう。
今挙げた2作品は、天才の生き様を描いた作品だ。
しかし、最新作の『あしたの肖像』で描かれるのは、天才でありたいと願う青年の物語だ。
青年は美大で肖像画を書いている。そんな彼にある依頼が舞い込む。
それは亡くなった女性の肖像画を描いてほしい、というもの。
肖像画は、ただ見たまま描けばいいというわけじゃないんです。描かれている人の内面が滲んでいなければ、絶対にその人には見えない。
彼は、故人である彼女を知るために、彼女を知る人たちに会いに行く。
同じころ、天才と評されていた同級生で恋人の女性と連絡がつかなくなっていた。
なぜ彼女は、彼の前から姿を消したのか。
天才だと言われる側の人間と、天才になりたいと願う側の人間。
それぞれの内面が繊細に描かれる。
何者かになりたいと望んだ経験は、誰しもあるだろう。
天才ではないわたしたちは努力を重ねて、自分が描ける絵を描いていくしかないのだ。
でも、それは悲観することではない。
自分が描けるものを磨いていく。
それでいい、それがいいのだとこの作品はわたしたちを肯定してくれている。





コメント